>貧民の薬莢拾い
砲弾拾いなら国内にもあった

https://www.town.kamifurano.hokkaido.jp/hp/saguru/1702omori.htm
昭和三十三年から、三十五年頃の鉄屑価格は、一貫目(約四キログラム)五十余円という高値の時代であった。
これがためか、演習場近傍の人、市街地の人達が休祭日、或いは実弾射撃のない日を想定して、弾着区域内に、無断で忍び込み、砲弾の破片を拾い集めて、運び出す極めて危険な行為が頻繁に行なわれていた。
時には、満月の夜など、月明かりを利用して立入る者、或いは実弾射撃の当日、早朝からの立入る者を発見したため、部隊の射撃開始時間が大幅に遅れること等、大変な騒ぎとなったこともあった。
更には、知能的な立入り者がいて、古物業者から買い求めた自衛官の戦闘服装、上下一式を着装して、休祭日には悠々と弾着区域内で砲弾の破片を拾い集めていた。
警戒巡察を強化して観測用望楼から双眼鏡で監視当初は、自衛隊員が射撃のための目標設置作業かと錯覚させられたこともあった。
また、極めて危険な行為として、特科の一〇五ミリ榴弾の不発弾を持ち出して、旭野川に浸して火薬を湿らせて信管を外し、売り捌こうとしていた事件もあった。
以上のように、危険な弾着区域内への侵入行為は、自衛隊の射撃訓練以前の問題で、町民の人命に係わる重大な事案であったのである。

紛争地には当然、アメリカにも銅薬莢をリサイクルしてハンドロード弾を作る鉄砲屋に売ることはなくはない