日本陸軍の派閥には国家総力戦を諦めた速攻・短期決戦主義の皇道派と
国家総力戦を理想とした長期戦志向の統制派があって
2.26で皇道派が倒れて統制派が主導権を握ったはずなのに
その後は終戦までずっと短期決戦脳のままで長期の国家総力戦を戦える国作りは最後まで出来ていなかった印象を受けます
これは単に統制派による軍と国家の改革を進めるには戦争までの時間の猶予が短過ぎたせいで
開戦しないままWW2を終えて5年以上の猶予があれば
工業化して「小ドイツ」とでも言えるような総力戦体制を完成させていたという理解でいいでしょうか?