>>512
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%8A%9B%E6%88%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80
1941年7月に日米戦争を想定した総力戦机上演習を行ったのは総理直轄の研究機関である総力戦研究所
その後の報告を受けて「机上の空論 やってみなくちゃわからん 日露戦争だって勝てると思ってたわけじゃない」と言ったのが東條総理

戦前の日本は石油の輸入を産油国だったアメリカ合衆国に頼っていて、日中戦争や満州国問題による日米関係の悪化から1941年夏に石油禁輸という経済制裁を受けたのが開戦への大きなターニングポイントになった
それに対する対応が欧州の戦争で植民地防衛が手薄になっていた南方の資源地帯の占領で、その障害となるのが米領フィリピンの米軍とハワイの米太平洋艦隊だったのでこの2つを素早く占領および撃滅することが重要だった
以後は南方資源地帯と大陸における占領地域を確保しつつ持久戦を行い蒋介石に対する支援を絶ち、ドイツがイギリスを屈服させソ連を打倒することで孤立したアメリカと日本が有利な条件で講和するというのが開戦後の方針だった