独ソ戦でのドイツの敗因
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独ソ戦でドイツは負けました、何故負けたのでしょうか?やはりフランス侵攻の時に色々手間取って派遣されたイギリスの主力軍を撃滅出来なかったり、イギリス本土よりも先にソ連に侵攻して挟み撃ちにされたりしたのがまずかったのでしょうか? そりゃあーた、同盟国の日本が米国に宣戦布告しちゃったからねえ
この時点で詰んじゃった あー確かに、日本がアメリカに宣戦布告したら本格的にアメリカが介入してくるでしょうね。 小林ゲンブンっていうナチスマニアの漫画家も
ソ連のほうが国力が上だったと書いてる。 てゆーか
どうやって勝つのか教えて
浦塩打通作戦でもする? アメリカが英ソにどんどんレンドリースで武器や物資を送り込んでるのに
宣戦しないとそれを攻撃できない
いずれ開戦してたよ バトルオブブリテンをせず、さっさとギリシャを掃討
北アフリカ戦線は兵力を派遣せず、総撤退させる
独ソ戦は
1941年10月の時点でレニングラード東−キエフ東−ロストフ東線にて停止し、陣地&ドイツ規格の鉄道道路網構築
(8月下旬までにルーマニアからペレコープ地峡北側まで最優先にてドイツ規格の鉄道敷設
かき集めた列車砲を運び込んでペレコープ地峡を突破し、11月にはセヴァストポリ要塞占領)
(クリミアへ送られた列車砲は12月下旬からレニングラード砲撃に使用。1月下旬に行われたレニングラード奪還作戦も冬季装備を整えたドイツ軍に撃退され、2月中旬レニングラード陥落)
この時ソ連に弾圧されていた国民で構成されたアインザッツコマンドが投入され、徹底した殺戮が行われてしまった
レニングラード掃討中の北部を除き、1942年春の泥濘前に行われたケルチ逆上陸作戦で支援艦艇ごとドイツ軍によって海の藻屑とされ、
ソ連は黒海の制海権を失い、春の泥濘後に行われたクバン川沿い侵攻作戦でペルシャルート並びにバクー油田を抑えることが行われ、
プロフラドニ手前まで侵攻して、やっとソ連軍が追いつき激突
しかし、これはフェイクに過ぎず、主力はレニングラードからモスクワへ向かう部隊
主力部隊がモスクワの北東北500kmのあるベロエ湖へ現れた時、
ほぼ無陣地状態の北東方向から現れたドイツ軍にスターリンはチェレポベツへ死守命令を出したものの3日で破られ、
モスクワ北東北70kmのセルギエフ・ポサードで8月に激突したもののチェリャビンスクへ市民を逃がす時間稼ぎに過ぎず、
結局は9月末にドイツ軍が赤の広場へ突入しモスクワ占領 日本が日中戦争講和
インドシナから撤退
余った関東軍をシベリアと北樺太侵攻
沿岸部都市は占領する
そしてシベリアは独立させる
極東は海上封鎖
シベリア補給路はすべて爆撃
ドイツはフランス・イギリスと講和
全軍を東部戦線へ 打倒共産主義を建前にして中華侵略を正当化
更に日本とドイツで同じく共産主義の総本山であるソ連を挟撃するシナリオなら
あるいはワンチャンあったかも知れない
打倒共産主義が御旗であれば自由主義の旗手を気取るアメリカもイギリスも
表立って反共サイドの邪魔は出来まい
まぁ日米間の経済封鎖とか、もちろん真珠湾も無かった前提での妄想だけどw
アメリカだって戦後を考えたら、ドイツや日本に勝つより
ソ連や中華を潰しておいた方が良かったろう コーカサス油田地帯よりモスクワ攻略を優先させてればソ連は崩壊していた。
石油LOVEのヒトラーの過ち。 信心が足りなかった
ヒトラー頃して池田先生にすべきだった ドイツ人って勤勉実直で優秀だと言われるが
近代に入って大きな戦争に勝った試しが一度も無いわな おまえ学校行って無いの?歴史の授業じゃ寝てたのか?
我が国は日清・日露と連勝してるだろ
第一次大戦だって戦勝国だ 日清日露が大きな戦争かどうかは怪しいがな。
それに日露は引き分けに近い。 済んだ話をフニャフニャとw
余所で構って貰えよチョーセン人 事実の歪曲を執拗に繰り返すのがチョーセン人だろうがw >>26
キミもたまには頭を使ってみてはどうだ?
世界が広く見えるぞ。 >24 >26書かれた後に、その通りで御座いますとばかりに
まだウジウジと女々しく>28みたいな負け惜しみをわざわざ書きに湧ける
その恥知らずなメンタリティが凄げぇよ モスクワ戦ソ連軍反撃
http://2ch-dc.net/v8/src/1619476538233.jpg
ドイツ軍は鉄道1本で生き残る
この鉄道をソ連に奪われたら、ドイツは昭和18年には降伏している
ドイツ軍後方に回り込んだ部隊がシベリアの部隊なのかな
この後、この部隊が全滅します ヴャジマ-ブリャンスク包囲戦のあとバルト三国・ベラルーシ・ウクライナの独立を引き換えにドイツ軍撤退と更に捕虜のソ連兵も全部返したるって条件で講和呼びかける ドイツ軍の独ソ戦序盤戦の戦い方は
ハンニバルのカンナエの戦いと同じ
スターリンもソ連の攻撃時に、
カンナエの戦いを再現せよと繰り返して激をとばす
モスクワ戦もスターリングラードも
カンナエの戦いとは違う 決め手にならなかったカンナエを持ち出した時点で負けてる ヴャジマ-ブリャンスク包囲戦のあとダンティヒ自由国の独立を引き換えにドイツ軍撤退と更に戦争被害を賠償したるって条件で講和呼びかける ロシアの広大な大地向きの快速で硬いT-34が開発されてしまったこと 統 総トうカッカトはドコのドイツナンでスカ
大きな戦争を起こし、多くの人々を殺して傷つけた、nという国がその戦争に負けて、西g、東gという2つの国に分断された後、長い年月をかけ、西gと東gが統一して、
gという国を建国した直後に、gの政府が、統一に反対した人達を攻撃したとき、
僅かな人達が疑問に思ったし、中には統一を後悔する者もいたが、gの多くの人々が一緒に攻撃した。
自分はまだ子どもで、統一に賛成していたので、疑問に思わず、一緒に攻撃した。
しばらくして、gの政府が、東gと西gが統一することに力を尽くした、東gと西gの指導者達及びgの初代の指導者を、批判したり評価しない人達を攻撃したとき、
少数の人達が疑問に思ったし、少数の人達が、gの政府を批判したが、やはり多くの人達は一緒に攻撃した。
自分は、gの初代の指導者及び東gと西gが統一することに力を尽くした、西gの指導者を尊敬していたので、疑問を抱かず、一緒に攻撃した。
その直後、東gの人達と、西gと東gが長年属国にしていて、西g及び東gとはもちろん、西gと東gが統一した後も、もめ事が多い、※ファシリアールの人達と、※ワイマールクセンの人達を、
gの政府が攻撃したとき、少なくない人達が疑問に思ったし、少なくない人達が、gの政府を批判したが、半数以上の人達は一緒に攻撃した。
自分は先祖が、ファシリアールの隣にあり、nが大きな戦争を起こす前に、植民地にした、oという国の移民であり、自分は、gの政府の攻撃に疑問を感じたし、自分の家族や親族の中には、不安を覚える人もいたが、
しかし自分は、東gも、ファシリアールも、ワイマールクセンも好きではなかったので、一緒に攻撃した。
長い時が経ち、自分も年を取り、gの政府が、oを、nの少年兵だった人で、西gと東gが統一する直前に、多くの人々に支持されるoの指導者になり、oの指導者を引退した後に、しばらくして死んだ後も、
oの多くの人達が、oのnの少年兵だった指導者を支持しているから、oはnのような、危険な国になる可能性が高く、
自分の国及びoの周辺国の人々を守るためだと言って、oを侵略したとき、自分の一族は、oの移民の子孫だったので、gの政府や人々から攻撃されたが、その時には全てが遅すぎた。
その時、自分達にできることは何もなかった。 >>39
※ファシリアール。正式な国名はファシリアール共和国。かつて西gと東gに分断されていた時には、西gに属し、南部にある州とされていて、独立主張が強い地域。
b州×
ファシリアール共和国〇
※ワイマールクセン。正式な国名はワイマールクセン共和国。かつて西gと東gに分断されていた時には、東gに属し、南東部にある州とされていて、独立主張の強い地域。
s州×
ワイマールクセン共和国〇
追伸・この物語の主人公「自分」のモデルは実在します。
もちろん、俺はこの人を良く知っています。
この人は昔はドイツを評価していましたが、今は批判しています。
そして、昔はnやnのような人達の全てを憎み、もちろん、この物語の最後に登場した、nの少年兵で、後に指導者になった人のような人も憎んでいましたが、今はその人を含む、nの少年兵や市民たちは、憎んでいません。
この人は、5ちゃん(旧2ちゃん)などの掲示板や、いろんなブログにも、書き込んでいます。
もしかしたら、今日も5ちゃん(旧2ちゃん)などの掲示板や、何らかのブログを閲覧して、何か書き込んでるかもしれませんね。 ハイル・ヴァイツゼッカー(^o^)/
ハイル・コール (^o^)/
ハイル・ホーネッカー(^o^)/ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています