そういや、満州事変後の日中軍事境界線では、中国との大消耗戦となることを危惧する
現地部隊が、蒋介石軍と事実上の馴れ合いを続けてたんだったよな。
特に航空部門での予算が欲しい米内と山本に陸軍の好戦派が、牟田口廉也とか田中隆吉とかを前線につけて開戦に持ち込んだ。
戦後の米内と山本は、日米開戦には反対したぞって看板出してしまいやがった。