Fi 169 艦上攻撃機

1937年、ドイツ軍は独航空業界に艦上機設計を学ばせるため、日本に対し艦上機のライセンス生産を打診する。
日本はドイツの技術と引き換えに、九六式艦上攻撃機の製造技術提供を検討。
海軍や技術廠関係者の中には、当時最新鋭機だった九六艦攻のライセンス生産を認めることに難色を示す者も居たが
政府の説得により渋々承諾、独側にはサンプル機体2機と設計図が引き渡された。
(しかしこの頃には九七艦攻の生産に目処が付いていたと思われ、ライセンスを渋ったのはこれを隠蔽するためのポーズという憶測も有る)

設計及び製造はフィーゼラー社が選ばれ、エンジンのみオリジナルの中島 光ではなくBMW 132を採用。
エンジンの差により、オリジナルの九六艦攻やライバルのソードフィッシュよりも飛行性能に優れていた。

1938年までに12機が完成したものの、搭載予定だったグラーフ・ツェッペリンの建造は遅々として進まず、
また独情勢の変化により製造優先度も下げられ、本機がグラーフ・ツェッペリンから発艦することは最後までなかった。
その後空軍により前線偵察機に転用されたが、その後独ソ戦の間に全て失われた模様である。