>>722
>ドイツとかから論文が入ってきて、やっと修正されたって状態だったらしい

◆ こうしたことは吉村昭の力作「白い航跡」上下(講談社文庫)にくわしい。吉村に よれば、脚気は江戸時代でも
多く見られ、足がはれるのが特徴であることから、 中国ではこれを脚気―キャクキと称していた。多分今になっ
ていると、江戸以前 では雑穀を多食して、結果的にビタミンB1を十分に摂取する結果になっていた ことは先述したとおり。
これに対して、明治9年に来日した東京大学医学部教授のドイツ人ベルツは黴菌 (伝染秒)説を唱え、これがその
後長く日本医学界を支配した。ただし病原菌が 見つからないから治療法や薬も当然無かったのも先述のとおり。
明治27年の日清 戦争によるわが国の戦死・戦傷死者は1,270名に対し脚気死者は3倍以上の 3,944名に上った。
10年後の日露戦争では戦死・戦勝病死者84,200名に対し脚気 死者は27,800余名だった。戦場に着く前の船中で
脚気死するものが多かった、と 記録にある。ハラ一杯食わせれば食わせるほど死ぬ、それも上陸前に死な
れるの が多いのでは話にならなかった筈だが、高木の説には依然、耳を貸さず、森は激 越な講演をして非難するばかりだった。
http://www.kajika.net/watanabe/020901-3.htm