>>313
>日露戦争(1904〜05年)で朝鮮半島沖で沈んだロシア軍艦を巡り、韓国で金塊騒動が起きている。
>「船体を発見した」という韓国企業は、軍艦に10兆ウォン(約1兆円)相当の金塊が積まれている可能性を示唆。

そもそもこの「バルチック艦隊の大金塊」のネタ元は、対馬沖海戦の後敗走し自沈を強いられた艦の乗組員らが、
日本で捕虜生活を送るまでの間の当座の生活費として艦内の金庫から金貨や銀貨を分配した事が始まりです。

そして鬱陵島に上陸したロシア人乗組員らは、とりあえず酒と肉と飯が欲しいので手持ちの金貨や銀貨で
島民から食い物を買い付けたエピソードが後に尾ひれ背びれが付きまくって
「バルチック艦隊は大量の金塊を詰んでいた」という伝説のベースになったらしいですが。

ちなみにこの金貨の分配の話はロシア人乗組員の視点からバルチック艦隊の航海と対馬沖海戦の顛末を描いた
「ツシマ」にも書かれており、それによるとボロジノ級戦艦4隻の内、著者が乗る戦艦オリョールのみが唯一生き残り
翌日連合艦隊に生け捕りにされましたが、艦長の命令で金身の中の金を全部海に捨てろとの命令が。

しかし金庫を預かる主計士官がそんな命令を聞くはずも無く、高価なソブリン金貨を始めとする金銀貨や高額紙幣を
持ち出せるだけ持ち出して直属の主計兵らと共に着服し、残りの小額紙幣や銅貨だけ海に捨てて辻褄を
合わせました。

とは言え全額横領着服したのでは後々マズイと思ったのか、後に士官らを集めて各員に英国金貨数十ポンドを配って
彼らを懐柔し共犯者に仕立てました。

後に松山などに大規模なロシア兵の捕虜収容所が出来ましたが、捕虜にも関わらず毎晩飲む打つ買うの豪遊を
繰り広げた妙に羽振りのいい士官らがいたのも、その元手はこういう乗艦から持ち出した金貨であったっぽいです。