突撃砲の極一部に10・5cm砲を装備したが独ソ戦の初年度にはこれもまたおおいに議論をよびおこした
しかし結果的には戦局の推移で敵戦車の破壊が重要であり榴弾砲よりカノン砲のほうが有用だという意見が強くなっていった

突撃砲編成は2両からなる小隊が3個で中隊、一個中隊が6両であり3個中隊で大隊編成となる
ほとんどの大隊は突撃榴弾砲を有しており中隊のひとつが突撃榴弾砲だった

大隊長・中隊長・小隊長には3トンハーフトラックが指揮車両(イワシの缶詰)として支給されたが、
将校が砲長に代わってみずから突撃砲に搭乗したため、この指揮車両は変わった使いかたがされた。
指揮官はイワシの缶詰に乗って戦死するつもりはさらさらなく、攻撃精神から言っても
前線から指揮をとりたがった。またこの指揮車両は戦場走行性がひくく速度も鈍く突撃砲についていくことができなかった
42年にはイワシの缶詰のかわりに隊長に突撃砲1両が支給されることになりこうして大隊編成は31両となる

突撃砲の最初の年は「こまぎれでなく集中投入」の原則で上官を説得することにつとめなければならなかった
理解できない司令官は突撃砲を歩兵にばらまいて投入しようとした
歩兵のひっぱりだことなること自体は突撃砲にとって名誉なことにはちがいなかったが決定的な戦果は集中投入によってえられる
あとになって理解されるようになったが突撃砲はすくなくとも中隊もしくは大隊単位で運用されるようになる
突撃砲にとって事前の偵察と歩兵共同はなによりたいせつで、歩兵部隊の指揮官を突撃砲に「お乗せになる」ことも多かった

突撃砲兵の制服デザインは戦車科とおなじで色は黒でなくグレーであった。一部では黒服も用いられた。そのほうが「シック」だというのである
1943年までは弾薬ガソリン補給は補給拠点まではトラックではこび、1・5トン装甲ハーフトラックが前線に補給した
43年以降は装甲車不足によって非装甲のマウルティアの補給に頼らざる得なくなりこれらが前線まで到達するのは不可能であった