>>240
 1944年の長沙会戦時の中国側砲兵は砲兵第14団第1営(クルップ15榴6門※独製10榴説あり)、
砲兵第12団第1営(ソ連製76.2mm野砲11門)、砲兵第1団の1個営(ボフォース75mm山砲12門)、
第4軍直轄山砲営(米国製75mm山砲12門)、砲兵第51団の1個連(37mm対戦車砲4門)でした。

 ということは制圧された15榴は同じ独製でもクルップのsFH18の方だったことになります。
 戦史叢書でもラインメタルとしているので、日本軍は2種類の独製15榴をどちらもラインメタル製15榴と一括りにしていた可能性がありますね。
 同じく戦史叢書ではで第90師を殲滅した際の戦果として鹵獲重砲12門、十榴2門、野山砲13門、速射砲4門、迫撃砲8門、長沙城内で鹵獲山砲12門、速射砲1門、迫撃砲10門を挙げています。

 重砲12門はいくらなんでも多すぎですし、十榴は一体どこから来たんだという話になりますが、
総数としては岳麓山陣地(第90師と砲兵隊主力)の火砲39門と対戦車砲4門に対し鹵獲火砲が27門と速射砲4門でbキから装備の大粕シが破壊されたbゥ鹵獲されたこbニがわかります=B
迫撃砲bヘ恐らく第90師bフものでしょう=B
 
 長沙城内の山砲12門は第4軍直轄山砲営の米国製M1A1山砲が全て失われたことを示しているようです。
こちらの速射砲と迫撃砲は第59師と第102師の装備だったと思われます。