当時、子供は送迎バスに乗せて沿岸近くの自宅に送った、とか無茶苦茶だったな

数百ー1kmごとに避難用のボタ山が並んでいれば
子供、老人も目印に徒歩で近くまで来れば大人が介護して登坂できるだろ

宮城平野は内陸まで標高低い平地で逃げ場がなかったのが悲劇なんだし、瓦礫でボタ山作るだけでも避難が容易になる

だいたいこの想定だと子供も老人も高台の新居住区の住人で津波被害には遭わない