突入前、実家に電話の若い巡査に涙 あさま山荘取材の元カメラマン (産経 2/26)

昭和47年2月の過激派組織「連合赤軍」によるあさま山荘事件は、現場の状況を伝える記者やカメラマンにとっても過酷な現場だった。

いつ事態が動くか分からず、自身も銃弾に襲われるかもしれないという緊張感の中、10日間にわたる雪深い山の中で取材は続いた。
当時、カメラマンとして現場で取材にあたった元産経新聞記者の小野義雄さん(78)もその一人だ。

・まるで戦地のよう
千葉県富津市で暴れる野猿の撮影をしていたところ、上司から無線機で連絡があったのは昭和47年2月19日午後のことだった。
すぐに東京都内にある本社に戻り、電車で長野県軽井沢町に向かった。

当時は携帯電話やパソコンはなく、取材本部の民宿とは別に現場に近い取材拠点としてあさま山荘近くの別荘の軒下を借りた。
カメラマンは24時間3交代制で、小野元記者は防弾チョッキを着て撮影に臨んだ。
軽井沢は連続氷点下。 テントで簡易の屋根を作り、一斗缶で火をたいて寒さをしのいだ。

「みなウイスキーのポケット瓶を飲んで体を温めていた。 軽井沢からポケット瓶が消えたといわれた」と振り返る。

当時機動隊員が食べていたことで爆発的ヒットとなった「カップヌードル」は報道陣にとっても心強い「味方」だった。
ただ、水がなく、雪を溶かして温めたお湯で作った。(後略)
https://www.sankei.com/article/20220226-3ZISL2M5KJIUZMQTAE77OW6DMU/

厳冬下のあさま山荘事件で山荘を包囲する機動隊員や取材陣に大変喜ばれたのが、当時まだ目新しかったカップヌードルというのは
有名な話だけど、凍てつく体を温めるポケットウィスキーも必需品だったんですな。

流石に警官隊の方は立場上呑む訳に行かなかったでしょうが。