ソースが大紀元なのはアレだがガチのレーションネタ。


中国古代の軍隊は何を食べていたのか (大紀元 2018年12月01日)

古来より、軍隊の食糧事情は前線で戦う兵士にとって一大事でした。
食事の質と量は兵士の身体能力に直接的な影響を及ぼし、作戦の勝敗をも左右することがありました。
では、古代中国の兵士は何を食べていたのでしょうか。

中国最古の軍隊糧食は狩りで捕った獲物でした。 殷の時代には「田狩」と呼ばれる大規模な狩猟活動が行われ、千人以上の兵士を動員し
数百頭の野生動物を捕まえることができました。 甲骨文字で書かれた古文書によれば、殷の軍隊は一度の田狩で451頭の鹿を捕まえました。

周の時代になると田狩はさらに規模を増し、周の武王は一度に1万頭以上の動物を捕らえたと記録されています。
軍隊の食糧をまかなう為にも、殷や周は絶えず領土を拡大する必要がありました。
周の時代になると、その領土は現代の陝西省、山西省、山東省や安徽省まで拡大しました。

捕らえた獲物以外にも、主食として粟(アワ、黄色で小粒の穀物)が食されていました。
とはいえ食べ方は蒸してご飯にするのではなく、濃い粥(かゆ)にして食べていました。
夏王朝、殷王朝、周王朝は野菜入りの粟粥が糧食の中心であり、そこに豆類や肉類を入れました。
食器は主に陶器(粘土を比較的低温で焼き上げたもの)が用いられていました。
当時の粥は主食であったため非常に濃く作られ、「厚(濃いの意)」と呼ばれました。

粟は唐王朝期まで軍隊の主食であり続けました。 中国の政治的・軍事的中心地が主に北方であったためです。
さらに粟は米よりも長期保存に向いていることも理由の一つです。
唐王朝期の文献によれば、粟は最大9年間保存できるのに対し、米は5年しか保存できませんでした。
実際、粟の保存期間はさらに長く、長安城に蓄えられた粟は20年物でも食用ができたと言われています。(続く)