「我々はー!朝廷と幕府の命令に従っただけでありましてー!お前らに喧嘩売った事に文句があるならそっちに言ってくださーい!」
と幕末テロリストミサイル第二発射基地こと長州藩は下関戦争で敗北した後全責任を幕府に丸投げし、
(そもそもに要求にあった神戸港開港を「この前流行ったコレラは異人が原因なんでしょ!そんな怖い連中京の近くに置ける訳ないじゃない!」と朝廷が拒否ったのも原因だが)
この際輸出税は全廃してもいいが輸入税だけは死守という小栗忠順以下幕府側の懸命の交渉に関わらず最終的に関税は輸出輸入共に5%に固定、
これにより貿易状況は一転して輸入超過に陥り以後日本は明治末の関税自主権の回復まで(たまに黒字になる事はあっても)慢性的な貿易赤字に苦しむ事になる
教科書とかで幕府の外交ミス扱いされ、明治政府が超苦労した関税自主権の回復はなんの事はない自分達というか長州の過激派連中がやらかした事の尻拭いでしかなかったというお話