ちなみに幕末当時の主力輸出品は後の明治時代の知識から大方予想は付くと思われるが生糸と茶なのだけども、
以下はその生糸というかお蚕様に関するお話。


日本製の生糸がこれだけ売れたのは当時の中国の最高級品よりも更に上の品質だった事ももちろん理由にあるのだが、それ以外にももう一つ理由がある。
これは開国してから数年後の話になるのだが、細菌が寄生する事により蚕が繭を作れなくなる微粒子病が欧州に蔓延、
フランスとイタリアを中心とした欧州全域の養蚕業が壊滅状態に陥り欧州各国内での生糸生産量が半分以下になってしまう。

となると当然欧州各国による日本製生糸の大争奪戦が起きる事となるのだが、日本の蚕はどうもこの微粒子病に対する耐性を持っていたらしく、
生糸需要の激増と同時に蚕卵紙(蚕の卵を貼り付けた紙)の輸出が特にフランスから幕府へ強く求められる事となる。

幕府からしてみれば生糸はともかく蚕卵紙を輸出するぐらいならその分国産の生糸や単価の高い絹織物を買って欲しいし、
なにより蚕卵紙を輸出する事で国外の生糸の品質を上げられたらこちらの商売あがったりになるので蚕卵紙は輸出禁止品目に指定していてフランスの輸出解禁要請にも渋りまくっていたのだが、
フランス政府による度重なる要望の結果として横須賀に製鉄所と造船所を建設する際の技術支援および建設代金を生糸と蚕卵紙の現物払いにする事を条件に蚕卵紙の政府間貿易を承認。

以後予防接種法の開発でおなじみパスツールが原因を突き止めるまでの10年間蚕卵紙は生糸・茶と並ぶ日本の主力輸出品として日本の近代化を支える原資となっていき、
これにより関係を深めていく幕府とフランスを脅威と認識したイギリスは以後反幕府勢力である薩長との接触を開始する事になる。