すこし485を改変してみた

私は人生には運が本当に多く作用すると信じる方だが、どんな隣国に会うかも大変重要な運の一つであることを改めて悟った。どういう巡り合わせでこのような隣国に会って、このように基礎的な問題までコラムで論じなければならないのか悲しいばかりだ。

このニュースを聞いた瞬間、私は心から「こいつら狂ったか?」と思った。普段でもこの様な決定を下せば批判の声を聞くはずだが、まして流行病で隣人間の連帯がいつもより重要なこの時局にこういう決定を下すとは!

放射能汚染水を排出することについて、この国の政府官僚の一人が「韓国、中国などの抗議は聞きたくない」と話したという。この人間は本当に笑わせるジャージャー麺ではないか?ジャージャー麺に対する冒とくだと言うなかれ。この人間の頭には脳でなく麺玉が入っていることを明らかにする言葉だ。

常識的に考えてみよ。私たちはお前らのようなジャージャー麺にあーしろこーしろ言いたいか?あーしろこーしろというのは何か話をしてもわかる知能がある者にすることだ。

それでも私たちがこの頭の悪いジャージャー麺にあーしろこーしろ言う他ない理由は海が共有地だからだ。お前らは汚染水を捨てる海がお前らの所有物と考えるのだろうが、空気と海は行き来する物質を遮断できない共有地だ。お前らが汚染水を捨てるその海は全てがお前らのものではない、ということだ。

昨年、流行病の初期に日本埼玉県が在日朝鮮人の子供たちが通う幼稚園だけ抜いて3,000枚のマスクを配布したことがあった。それで、在日朝鮮人の子供たちがコロナにかかればその周辺に住む日本人たちは安全か?そのようなことで国家を運営した結果が、まさに8,000人を越える民衆死亡のニュースだ。

この無知な没知性の国家は此度の流行病で何を習ったのか。国家官僚が自由に動けないことはわかる。現場が罹患者の対応に追われて疲弊して言っているのもわかる。だからこそここで一致団結してこの流行病の収束を図るべきではないだろうか。無垢で天真爛漫な少女達の笑顔。理由なんてそれだけで十分じゃないか。いつか遠い未来に生まれる少女達のために、ボトルに貯めるのさ(´・_・`)