もうちと改変してみた。


私は人生には運が本当に多く作用すると信じる方だが、どんな隣国に会うかも大変重要な運の一つであることを改めて悟った。
どういう巡り合わせでこのような隣国に会って、このように基礎的な問題までコラムで論じなければならないのか悲しいばかりだ。
このニュースを聞いた瞬間、私は心から「こいつら狂ったか?」と思った。普段でもこの様な決定を下せば批判の声を聞くはずだが、
まして流行病で隣人間の連帯がいつもより重要なこの時局にこういう決定を下すとは。
福島の処理水を放流することについて、この国の政府官僚の一人が「韓国、中国などよりは安全である」と話したという。
この発言に意を唱える者達が居るという。おそらく科学的な根拠よりも自分の感情が優先され論理的な思考を欠いたキムチ野郎のような存在なのだろう。
常識的に考えてみよう。一つの事柄をなすに感情が入ること自体は悪いことではないし、人である以上、当然ではある。
しかし同時に我々が考える葦で在るためには感情を逆なでするような情報であっても、学問的に矛盾が少ないのであれば受け入れるし、
受け入れられないというなら論理的な反証が必要になる。しかしキムチ野郎はこの科学的な反証という物が理解できないのだ。
それでも私たちが諸外国の原発処理水放出について騒がない理由は海が公共物であり、海の広さからすれば地理にも値しないくらいの微量でしかないからだ。
そもそも大気圏内核実験を行った諸外国が文句を言えることではないということだ。
加えてこのたびの流行病の対応を見よう。まさに科学的な観点を見誤り、己の感情で発信する、
東京や大阪などの愚かなパフォーマンスに傾倒した首長や、くだらない揚げ足取りに明け暮れる間抜けな野党の連中だ。
奴らのせいでどれだけ足を引っ張られたことか。
この無知な没知性の国家は此度の流行病で何を習ったのか。国家官僚が自由に動けないことはわかる。
現場が罹患者の対応に追われて疲弊して言っているのもわかる。だからこそここで一致団結してこの流行病の収束を図るべきではないだろうか。
無垢で天真爛漫な少女達の笑顔。理由なんてそれだけで十分じゃないか。いつか遠い未来に生まれる少女達のために、ボトルに貯めるのさ(´・_・`)