こうして中国南部一帯の占領を実現した帝國陸軍であったが、その実態は広大な土地の中に点在する拠点を線と線で結んだだけに過ぎなかった。
抗日ゲリラの跋扈によって線路が爆破され、そのたびに輸送が停止。海上輸送路の代わりには成り得なかった。
B-29の出撃拠点閉鎖の観点から見ても、あまり成功とは言いがたかった。1944年7月7日にサイパン島を失陥した事で、
アメリカ軍は支那大陸より日本本土に近い飛行場を獲得。そこから毎日のようにB-29が飛来するようになってしまった。
せっかく作戦成功に導いたにも関わらず、その努力はほぼ無意味に終わったように見えた。 (ニコニコ大百科より)