二十二戦隊は手駒不足の五航軍の期待を担い、地上軍の上空援護、進攻・制空、そして漢口の防空にと、
出勤を続けていた。ただ、米第14航空軍の行動がゲリラ的なため、正面きっての空戦があまりなく、
このころまでの合計で未生還四〜五機で撃墜十数機と、得失とともに小さな数字だった。
 出動回数は少なくはないが、「まだ酷使というほどではなかった」と整備隊長だった中村氏は証言する。
これが「酷使」へ移行しかかるのは、満州、鞍山の昭和製鋼所が九月八日にB−29に空襲されたあとだ。
 漢口から北へ五二〇キロの新郷へ前進してのB−29邀撃任務を五航軍から付加された岩橋戦隊長の
口から「よく使いやがるな」の言葉がもれた。
 料理屋で神保少佐、新美大尉に対しても、「地上の作戦参謀は航空をなにも知らない」「隊員たちは疲れ
きっている」と述べ、任務の多岐、飛行場移動の増加を批判した。〔237ページ〕
<未知の剣 (ミチノツルギ) 陸軍テストパイロットの戦場  渡辺 洋二 >


571 名無し三等兵 sage 2021/05/11(火) 14:14:04.49 ID:dWujk8ZK
>>大陸打通作戦のエアカバーを果たした!

爆笑、本当に何も資料持ってないし、調べもせず、思い込みだけなんだな
四式戦の参加は打通作戦中盤の8月末からだし、作戦後半には漢口などで迎撃戦ばっかやってて、地上支援なんてやってないよ