太平洋戦争に先立つ1941年11月、ルフトバッフェの弱体ぶりに衝撃を受けたウーデット上級大将は、
設計者としての責任を問われメンツを失って自殺してしまった。

 戦闘開始以来、九月二十七日までに、一六〇三機が撃墜され、一〇二八機が損傷をうけた。
 その総数二六三一機は、戦闘開始のときに任務についた数と、ほとんど同数である。
 小型機――急降下爆撃機や陸軍直協機――の損失もバカにならなかったが、より高価で大型の
ハインケルHe177やユンカースJu88のたえまのない減少は、補充生産が最早追いつかぬほどの打撃だった。
 しかも撃墜された大部分は、ソ連上空であったので、ベテランの搭乗員の損失は、まことに深刻な打撃であった。
 ドイツ空軍の戦闘力の出血状態は、しだいにひどくなっていったのである。
 ドイツ空軍の飛行機開発・生産担当機関の責任者であるエルンスト・ウーデット上級大将にとって、
ソ連上空での大きな損失は、自らの破滅を意味した。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU2/lf6.htm

765 名無し三等兵 sage 2021/05/18(火) 09:11:55.91 ID:8ibKTYG0
ドイツに300機超えのエースがゴロゴロ居るくらいだから日本よりパイロット乱造でお粗末な訓練だったんじゃね