>>705
秀次粛清した時点で、次代の統治機構がごっそり消えているからなぁ。

秀吉の関白就任の立役者であった今出川晴季は娘を殺され自身も配流。
秀吉死後、朝廷は秀頼に対して無茶苦茶冷たいんだが、これが原因の一つ。

田中吉政とか中村一氏とか堀尾吉晴、山内一豊の様な秀吉譜代ともいえる連中を琵琶湖岸に配置して秀次の宿老として付けていたんだが
こいつらを近江から追い出して東海道に再配置したところ、関ケ原以前から全員家康に付くという大失態。
で、近江には中核となる大名が居なくなったので、関ケ原では近江大名はバラバラ
よりによって大津なんて交通の要所を抑える京極が家康に付くという目も当てられない事態にw
で、更に仰る通り最上という家康に連携されると上杉の行動が阻害されるという意味で地政学的にも、伊達を始めとする血縁関係的意味でも非常に嫌な相手を敵に回すとw

秀次粛清とその後始末の時点で関ケ原の勝敗は決まってしまっている感がある。