>>473
吉宗時代の評判の悪い神尾春央が年貢増徴の直接的指揮を執ったのは有名だが、
神尾ですら実際に取れた年貢は大体三割八分五厘程度と言われているのだw

なんでこれ以上は無理か、と言えば、代官と代官手代で徴収する以上、人手以上の
徴税するにはもっと人手が居る、と言う身も蓋も無い現実があり、それを越える事は
上様と雖も適わなかった、と言うだけの話でな。

その辺を将軍世子としてずっと見ていただろう家重は田沼の起用をはじめとした
重商主義に舵を切った、とも言えるのだ。