>>907
太平洋戦争が始まるまで日本の主戦場は中国であり、その中国でドイツは1937年に日独防共協定が結ばれるまで軍事顧問団や武器輸出で敵側の国民党政府を支援していた
国民党軍の機甲戦力は貧弱であり、日本も戦車を歩兵の支援として用いていたので対戦車戦は重視していなかった
ノモンハンでの戦訓も歩兵の肉薄攻撃で戦車は撃破可能というもので、さらに日ソ不可侵条約で当面ソ連との戦争は考慮しなくてよくなったので対戦車砲を強化する方向には向かわなかった
太平洋戦争と独ソ戦が始まると日独間の連絡手段は仮装巡洋艦か潜水艦くらいしかなくなり技術情報をやり取りするのが困難になった

陸軍は在独駐在武官を通してティーガーやパンターをドイツで購入してるけど持ち帰る手段がないので結局ドイツ軍が使う形になった