「治具」という言葉を初めて知ったのは、ヘンシェルHs123の解説を見た時だったんじゃないかと思う。

第2次世界大戦で活躍したドイツ空軍の急降下爆撃機と言えば、主翼に装備したサイレンを鳴らしながら降ってくるユンカースJu87“スツーカ”ですが、その1世代前の機体がヘンシェルHs123です。
1936年に採用されたものの、翌年にはJu87も登場したため1938年までの短期間のみ生産、大戦開始時には既に旧式の訓練機扱いでしたが、1941年に対ソ戦が始まると、信頼性の高い攻撃機としてHs123が再評価されます。
フランス戦やバトル・オブ・ブリテンまでドイツ軍が戦った戦場とは異なり、設備は貧弱、荒れた短距離の滑走路しか無い前線飛行場ばかりが多い東部戦線では、旧式とはいえいつでも近くから飛んできて、銃撃や爆撃してくれるHs123が非常に重宝されたのです。
いわば今で言うCAS(近接航空支援機)、あるいは対ゲリラ戦用のCOIN機、攻撃ヘリなどの先駆的存在したが、何しろ戦前のわずかな期間のみ生産しただけの“レアもの”でしたから、戦争が進むに従って損耗してくると戦力不足に悩まされます。
そのため、「なんでこんないい飛行機を生産終了したんだ! 今からでもいいから再生産しろ!」という前線からの悲鳴が上がり、深刻さを認識した空軍上層部もヘンシェル社に再生産を打診したのですが、残念そのための治具は既に廃棄済み。
仕方が無いので新型機やJu87改造型などで対応することになりますが、残り少なくなったHs123はその後も重宝されつつ実戦で使われ続け、1944年春頃まで運用、というより損耗しきったそうです。
戦争を始める時には、何が役に立つかわからないので多少古い兵器でも再生産の準備くらいしておいた方がいいという好例ですね。