続いて語った父、雅彦の話はなぜかどこも流さなかった。 
あの3・11の混乱の中で東電福島の原発1号機の爆発が報じられた。
東京に死の灰が降ってくる風のデマが飛び交う中で父から電話があった。 
誘拐事件もあった。
ずっと大事にされ、甘やかされてきた。
だからそんな危ない状況を心配してのことかと思ったら大違いだった。 
「みんな東京から逃げている。しかしお前は日本人だ。逃げようなんて思うな。そこにいて日本人らしく死ね」 
未曾有の惨事だ。
それでも東電職員も消防署員も命を張って惨事の拡大を食い止めようとしている。 
どんな天変地異にも日本人は逃げなかった。
みんなで助け合い、支え合って生きてきた。
そういう日本人らしく「振る舞え」と父は言った。 
あの時、いの一番に現場から逃げたのは当の欠陥原子炉を作った米GEの社員だった。
一目散に大阪に向かい、飛行機に飛び乗って米国にまで逃げ帰った。 
日本人でも逃げた者がいた。
山本太郎だ。 
彼も大阪に逃げた。
それでも足りずに「フィリピンに逃げる算段をしている」とツイートしている。 
騒ぎが収まると売れない俳優は反原発を叫んで政界に乗り出してきた。 
今は消費税ゼロのいい日本を実現すると公約する。 
でも彼はその日本をかつてあっさり見捨て逃げていったではないか。 
言い忘れたが津川雅彦氏は我先に逃げる者を一番嫌っていた。

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