>>69
旧エヴァと新エヴァは
表現が違うだけで同じだよな

エヴァのテレビ版のLDには20話以降新作(通称ビデオ版)が混じっている
LD(およびVHS)ではGENESHIS:1から14まであり、1から12までは2話づつ、
13は、放送版として弐拾五話「終わる世界」とビデオ版として25話「Air」
14は、放送版として最終話「世界の中心でアイを叫んだケモノ」とビデオ版として26話「まごころを君に」
が収録されている。
つまり、旧劇エヴァと、テレビシリーズの弐拾五話と最終話は同じ話なのである
旧劇エヴァでシンジはLCL化してみんな一つになるという補完を拒否する。
それをテレビ版ではこんな風に表現している
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シンジ:これは…何もない空間。何もない世界。僕のほかには何もない世界。僕がよく分からなくなっていく。
 自分がなくなっていく感じ。僕という存在が消えていく。
(中略)
シンジ:他の人がいるから、自分がいられるんじゃないか。一人は、どこまで行っても一人じゃないか。
 世界はみんな僕だけだ!
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ここで旧劇版ではLCL化を拒否している。テレビ版では続いて
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シンジ:そう、僕は僕だ。ただ、他の人たちが僕の心の形を作っているのも確かなんだ!
ミサト:そうよ。碇シンジ君。
アスカ:やっと分かったの?
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となる。ここまでが旧劇場版の最後に相当し劇場版は「気持ち悪い」で終わるが
テレビではこの後に「ときめきエヴァンゲリオン」という話が始まり「おめでとう」で終わる。

シンエヴァもミサトさんが死ぬのを含めて物語構造は同じ