ほらよぉ……
://www.cv6.org/ship/logs/default.htm

陸攻隊の歴史は、指揮官がどんどん撃墜されて編隊は壊乱
戦果の確認を本来担当しないはずの下級者が過大な戦果報告をして
結果として日本側の記録ばかり読んでると損害に苦しみつつも輝かしい戦果を挙げていたような錯覚に陥る
レンネル島沖海戦もその一つに過ぎない


まあ、こんな資料がなくても、陸攻隊が「敵戦闘機の触接=空母の存在を示唆するサイン」を受けながら
ただちにシカゴを攻撃、空母の索敵攻撃を断念したのはどうやっても動かしようのない事実
その大枠はどうやったって動かしようがない
当日の視界とか、米軍が記録した陸攻隊の機動というのはその内実を詳しく見るのには使える

さて、敵戦闘機の妨害を受けたら索敵攻撃もできず、昭和17年8月7日と8日には零戦の足に合わせてやはり自由な索敵攻撃のできなかった陸攻隊の航続距離がなんだって?
広範囲の飛行場に展開可能、行動半径の大きさは哨戒機としては役立つ
オレも哨戒機としての陸攻は十分立派だったと思う

しかし、味方戦闘機の行動圏内でしか満足な攻撃を行えない陸攻は
単発機と同じく、決戦海面(または作戦正面)に面する飛行場からでないと攻撃任務に使えない
むしろ、ソロモン諸島のように設営能力から陸攻の方が展開可能な飛行場が限られた例すらある

フィリピンや英印、蘭印への侵攻はとうかというと、限られた飛行場しか使えないし、我が防空体制も整わず、先制空襲に対して脆弱だったから
本来正規空母と特空母の連合で主力とすべきものだった
史実の作戦は、資源地帯の攻略すら敵が日本を舐めて、初日の先制攻撃すらめんどうがらないと成り立たない他力本願だ

でもって沢山の発動機と操縦員を費やす割に対艦攻撃や飛行場施設の破壊能力で劣るというね