>>498
動画でも言及しているけど、新大陸の植民地獲得競争にはタラ漁とその加工が少なからず関わっていました。

コロンブスの新大陸到達により、最初はスペインとポルトガルが、その後は英仏がカリブ海から北米東岸にかけて
競って植民地を作りましたが、北米東岸には巨大なタラの漁場がありました。

フランスは豊富な岩塩を有していたので、大型の漁船に積み込んだ大量の塩で戦場で塩タラ加工できましたが、
塩の乏しい英国は漁場のすぐそばにタラを換装させ下ごしらえを行う植民地を必要としました。

その為ボストンなどは漁獲したタラを加工する為に多数の入植者が移住し、同様の目的で多くの植民都市が
北米東岸に作られました。

そうして北米東岸に足場を固めた英国は、数十年に渡るフランスとの植民地戦争に勝利してフランスをカナダと
カリブ海に追いやり、現在の東部諸州に当たる地域全てを占有する事に成功しました。

そしてカリブ海のハイチなどのフランス植民地は瞬く間にサトウキビ農場が埋め尽くし莫大な富を生み出しましたが、
そのせいで主食を生産する農地が無くなり食糧を輸入に依存する事に。

北米東岸の英国植民地からは大量の塩タラを積んだ船がアフリカに向かい、そこで塩タラとバーターで多数の
黒人奴隷を積み込み、カリブ海のサトウキビ農場で使役する為に売り飛ばしました。

そして奴隷らには腐ったり塩分過剰で割れた売れ残りの塩タラを食料として宛がい、奴隷を売った金でハイチから
糖蜜やラム酒や綿花を買い込んで北米東岸に戻り、それを売った金で塩タラを買い込みアフリカに向かう・・

という三角サイクル貿易体制が確立して大きな利益を上げました。 それも東部諸州が独立するまでの話でしたが。