ラスト。
ここら辺は今日やるかもしれないけどドラマと史実でちょっとズレ起きてるし、
何より後半のやつは明治でも屈指のアレな案件の発端とも言えるネタ大河で拾うかなってのはあるのでやらないかもしれない。


さて、清へ交渉に行く事もなくなったし内務卿代理にもならなかった大隈はとりあえず台湾出兵によりヤバい事になっていた当座の財政をなんとかすべく、
各豪商に対し「お前等に預けてる政府の金今すぐここに全額耳揃えて持って来い、ダッシュな」令こと抵当増額令を発令、
これによりめでたく小野と島田が死んで三井もあやうく死にかけたが、
三野村利左衛門が井上経由で先んじて情報を入手していたおかげでオリエンタルバンクから二年後に返す約束で金を借りる事でギリ乗り切った。
なお金は返せなかったのでまた三野村が奔走する羽目になり、これにより寿命を擦り減らしたか翌年三野村は危機感を持っていた三井の一族運営問題の解決策として行っていた三井一族からの三井銀行運営権引きはがしを完遂する事なく57年の生涯を閉じる。

そして当時小野の番頭をやっていた一人の男が小野が死んだ事によって裸一貫になるが、
抵当増額令の際のゴタゴタで知遇を得ていた渋沢の援助を受けて相馬藩を抱き込み、鉱山業に手を出してこれに成功。
その金で当時産出量が全盛期の1/8にまで落ち込んでいてほぼ閉山状態だったクソ銅山を捨て値で買い取り、
渋沢本人から個人的に金を借りながらも4年の歳月をかけて見事良鉱脈を掘り当て、クソ銅山を日本の産出量の4割を占める程の産出量を誇る大銅山へと成長させた男がいた。
男の名は古河市兵衛、その銅山の名は足尾銅山という。