紫電改は量産してB-29を落としまくって欲しかった・・・(´・ω・`)
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『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫/山田風太郎)

●1944年(昭和19年)11月24日
山の手線にのる。五反田から乗り込んできた22歳位の工員風の男が二人、
「凄かったなぁ、今夜おれ飯くえねぇや」。何があったのですかと
聞くと、二人は防空壕に入っていると突然シューという音が聞こえ、
200m位向こうに黒煙が見えた。行ってみると50m位の穴があった。
家はなぎ倒されていて、人はもちろん死んでいた。防空壕の中で
数十人が全員即死していた。赤ん坊など石垣にたたきつけられ
ぺしゃんこになっていた。
「病院にも行ってみましたがむごたらしい限りでさぁ。おら腰が抜けちまった。
顔が半分なくなっているがの口を開けてうなっているんですからね。
大抵女です。子供はわあわあ泣いている。俺今夜飯がくえねぇ。
一人がはっと気づきながら眼で合図し、「おいあまりしゃべらないほうがいいぜ」 と注意した。

●1944年(昭和19年)11月30日
泣くがごとくサイレン、むせぶがごとく半鐘の音、
不気味なる爆音とともに、ドドドという地を震わし来る響き。

二階に駆け上り東南の方向を見るに、雨雲地の如く燃えて
その下の火災もみゆ。午前3時まで投弾続く。

全長50mの黒きB29のつばさの下よりビール瓶のごとく
落ちていく爆弾の幻影、夢にあらず。
千万の都民中死せるは千人としても感覚的には千万の千万なり。

警報解除となりまどろみたるも再度轟音わたり来る。
ねたるは5時過ぎなり。死せるがごとく眠る。
2度目はやや慣れ最初ほど恐ろしくないが、ひたすら無念なり。