>>429の続き

本編では、戦史叢書で昭和17年1月からのGFの判断を追っていますが、
その出典のひとつが三和日誌(>>303

GF作戦参謀だった三和義勇(よしたけ)大佐の日誌です。
海兵48期で少尉任官後、すぐに霞ケ浦航空隊で戦闘機搭乗員となり、
大正15年から空母鳳翔乗組み

小澤長官や多聞丸などの転向組とは違って、
生粋の「航空屋」です。