南雲は、かつて軍令部長伏見宮の手下として井上成美と争った

1933年(昭和8年)3月、軍令部の権限を強化する「軍令部条例並に省部事務互渉規定改定案」を軍令部が提起した際、試案を通読した井上は、この件を自ら処理することとした。海軍省を代表する井上に対する軍令部側の代表は、軍令部第二課長の南雲忠一大佐であり、南雲は井上を何度も「殺すぞ」と脅迫した
井上は遺書を机の引き出しに入れて南雲と交渉していた。