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さて新しいスタートを切ったはいいが、今の政府にはとにかく金が無い。
まあ金が潤沢にある近代国家の政府なんぞ古今存在しないのだが西南戦争で戦費調達のために紙幣を刷りまくったのがこれに拍車をかける。
とはいえ直前に米価急落による大規模デフレが起きていた事もあって明治十年と翌十一年はこれと相殺する形で物価は奇跡的に安定、
しかしその分翌十二年にインフレが爆発し、民間にはにわかに投機ブームが沸き起こる(明治の投機ネタで有名な兎バブルもこの頃の話)。

これにより大ダメージを受けたのが政府である。
以前地租改正について話したと思うが地租を弾力性が無い法定価格で設定したため、
税収の数字は変わらないのだがインフレにより物価が著しく上がったため実質的には税収大幅減という事になってしまった。
財政的な面だけでなく実質的に減税状態となった農民の中からは多くの豪農が生まれ、金銭的に余裕が生まれた事で豪農が子息を都会に送り出し、
豪農の子息が都会で自由民権運動に嵌まり、実家の金でその盛り上がりを支えるなど政府にとってのマイナス面が多数噴出する。
まだ「流通する紙幣の量が多くなればなるほど物価は上がる」という事が理論化されていない時代、これに対する大隈の対処は簡単に言えば
「積極財政を推し進め殖産興業を積極的に行って産業を発展させ、現状赤字である貿易収支を黒字にする」という事だった。

西南戦争でインフレなどでの混乱は起きてはいるが、それは一面的な見方であって保守派の一掃が果たされたのは好機とばかりに大隈は更なる改革の準備を推し進める。
皇室財産の設定、各種学校の文部省への統合、官営・国営工場の民間払下げなどがこの時の改革の内容にあたる。
特に払下げに関しては金が無い政府としてはいい加減赤字経営やってる工場を手放したいのと民間に下ろす事で日本産業の発展を促すというお題目で積極的に行われる。
当然それだけではまだ足りないし払下げ物件が手に入らなくてもゼロから始めようとする人間も沢山いただろうから政商や起業する人間にもバンバン融資が行われた。
どれぐらいバンバンやったかというとこれくらいやった。
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