松岡単体で決められるわけもないし
かといって松岡が日本の外交の意思決定に
全く影響力がなかったいうとそれもない
事実として松岡は特使として演説後に
そのまま退場した
実際に日本が連盟脱退の通告をしたのは演説の1ヶ月後
それまでの間どうやって脱退回避をするか大混乱となった

政府も外務省も松岡も軍も
関東軍ですらもそれぞれの思惑があって脱退は消極的
松岡も意気揚々と帰ってきたんじゃなくて
「国民諸君に申訳がないと考へて居る」と
ラジオで報告する状態
むしろ強硬姿勢の国民や兵が増長するのが怖かったくらい

結局連盟を脱退し熱河作戦を実施したのは
脱退しても外交的破局には至らない・なんとかなると判断した
松岡や外務省の甘い読みがあったから
一応満州制圧はなんとかなった

しかし、その後も三国同盟・インドシナ進駐・対米開戦と
松岡も外務省も軍も「なんとかなるだろう」で間違い続け
日本を破局に追いやることになる