>>423
>>扶桑型は砲火力を欲張り、14インチ砲を連装砲塔6基12門も装備したが為に、
  実戦でほとんど役に立たず、スリガオ海峡海戦で轟沈するだけに終ってしまった。

実戦で役に立たなかったのは艦隊司令部による用兵の問題で、スリガオも電探の劣勢を認識し、
さらに前日の空襲で旗艦山城の電探が使用不能になっていたにも関わらず夜間に狭い海域を
強行突破しようしとした司令官、西村中将の指揮の失敗以外の何物でない。

砲装は世界的に3連装砲塔の機構や信頼性が確立されててなかった時代としては防御の選択肢として
あり得るもので、当時主流の交互射撃では出弾率を考慮しても毎回4、5発以上の発射が期待できた。

防御面では、計画時は36センチ砲でも1万m以下で砲戦する事を想定されてた時代で、まあそれでも
薄めの装甲だった。後の改装でも防御は改装計画が立てられた時期の古さから旧式な3年式被帽徹甲弾
に対してのものとなり、貫徹力が飛躍的に向上した91式などの近代的砲弾に対応したものではなかったのは
事実。