明治末期でさえ二個師団増設問題とかで「質より量」を優先し、
第一次世界大戦を見て「人命より金」を優先した日本陸軍に危機感を持ったのが、
永田(藩医)・東條(藩学(能楽))・小畑(藩士)・山下(唯一の町民系。師範学校卒小学校教師→長崎で医学を学んだあと開業医)ら陸軍中央幼年学校卒・陸軍士官学校卒・日露戦争内地支援組

山下以外の彼らに職業軍人制を崩壊させなかったドイツと組むなと言う方がおかしい
まあ組むならアメリカ陸軍と組んでほしかったけどね
第一次世界大戦では、永田と小畑がヨーロッパに居た
永田はドイツ駐在武官(ただし日独開戦後は追放)→デンマーク→スウェーデン
小畑はロシア駐在武官→ロシア軍観戦将校