>>135
先ず後漢の皇帝が基本短命で、それで奥を担当する宦官側と皇后の親戚が専横する
外戚とが対立する土壌があった、ってのが前提になる
(後漢の皇帝で長命順を争うのが光武帝と献帝って事実を見るだけで判ると思うが)。

で、皇族には基本権力が後漢には無かったから(大司馬車騎将軍劉蒼以外、皇族に
宮廷で権力を握っていた人間は出なかった)、皇帝の秘書役たる宦官と、皇帝幼少の
場合に後見する皇太后の出身たる外戚が抗争するのはある種の必然になる。