>>817
ポーランド侵攻は8月後半から偵察機の領空侵犯やポーランド領内での破壊工作が急増し
明白な侵攻の危機がポーランドと英仏にも見えていたが
ナチスドイツの瀬戸際外交が未だに大規模軍事衝突を起こした事が無かった事から
英仏がギリギリまで外交解決に拘ってポーランド軍の動員を遅らせていたりもする
バルバロッサの場合開戦の少し前からドイツ機の領空侵犯事件が常態化していて
狼少年状態になっていたのが開戦劈頭の奇襲爆撃を許した理由と言われている
また5月の時点で赤軍の一部が独軍の兵力集中をキャッチして先制攻撃をスターリンに進言しているが
何かの間違いだと考えたスターリンが却下しているし国境で攻撃を受けても反撃するなと厳命していた
米英がドイツの英本土攻撃を諦めさせて挟撃するために独ソの衝突を煽っているという陰謀論がソ連にはあり
スターリンもそれを信じて独軍侵攻を示唆する情報が入っても握り潰していた
どちらの例も開戦1週間近く前から前兆が見えていたがそれを有効に使えなかった

ちなみに黄色作戦は元は低地諸国に1月15日に奇襲侵攻する計画で低地諸国にも英仏にも直前まで隠し通せていたが
1月10日に起きたメヘレン事件で作戦計画がベルギーに知られて警戒態勢に入られたため侵攻は見直しになり5月まで遅れた