ディエンビエンフーの戦いについて

1953年11月において、フランス軍はもはや紅河デルタ地帯を確保するのみ。
ベトミン正規軍主力を逐次遠隔地に誘引し撃滅することが計画された。
この計画における適地として、北西部山岳地帯とラオス平原地帯が選ばれた。
ディエンビエンフー市一帯はインドシナ半島北部有数の穀倉地帯であり、
これを確保することで南部の穀倉地帯である紅河デルタに対するベトミン軍の圧力が分散することが期待された・・・

だそうですが、
フランス軍から見て、紅河デルタしか確保していない状況で兵力を分散することになります。
ディエンビエンフーに行くことなく、紅河デルタで集中して守りを固めておくわけにいかなかったのはなぜですか?
ベトミン軍がディエンビエンフーを無視して、守備兵力が減少した紅河デルタに侵攻する恐れはありませんでしたか?

ベトミン軍から見て、ディエンビエンフーを無視して、紅河デルタ地帯攻略をしなかったのはなぜですか?

史実がそうなのですから、フランス軍は紅河デルタだけに立てこもることはできず、ベトミン軍はディエンビエンフーを無視することは
できないのでしょうが、なぜでしょうか?