モンタナ州生まれの建設作業員のケルソは、ニュースを見て仕事を辞めたという。背が高くスリムなこの元米兵は、アダムの外国人ボランティアグループにも入っていた。
高校卒業後、4年間米軍に所属していたが、戦闘は経験したことがないという。「これは私の最初の戦争です」とケルソは言った。
彼はウクライナ政府の募集サイトに登録したが何日たっても返事がない。「人が死んでいるのに、メールの返事を待つのは嫌だ」と彼は言った。
そこで彼は、貯金をはたいて700ドルを払い、ポーランドへの片道航空券を購入した。防寒着、寝袋、医療品、家族の写真、友人から寄付された防弾チョッキなどを携えた。
その中には、NATOの治安部隊の一部であるドイツ軍で4ヶ月半アフガニスタンに従軍したというドイツ人や、イギリス軍の退役軍人で、主にクルド人の民兵であるYPGとともにシリアのイスラム国と戦ったというスコットランドのおじいさんもいた。
契約書などの書類が承認されるのを10日近く待っている人もいる。

「ゼレンスキーはここは歓迎されるし、武装して準備万端だと言った」とエジンバラ出身の年配のロブ(61)は言った。「前線に立つべきだ。今まさに死んでいこうとしている若いウクライナ人がいるんだ。そして我々はここにいる」

土曜日、電話で連絡をとったとき、アダムは怒りと感情でいっぱいだった。軍団が適切な審査を行うと保証したにもかかわらず、彼は今、首都の北部にいて、ほとんどがウクライナの民間人から民兵になった領土防衛部隊に所属している。
防弾チョッキもヘルメットも、そして武器もまだ受け取っていない。そして、砲撃の音も聞こえてくるという。
「もう15日もここにいるのに、まだ何も起こっていない」と、彼は電話インタビューで語った。「もう我慢の限界だ」。
「銃も鎧もベストもヘルメットもなく、ウクライナ語の知識もない私に、基地を守れというのだ」と彼は続けた。「全く意味がない。銃も何も持たずに、ミサイルを撃たれて立ち尽くすなんてことはしない。どうせ死ぬなら、前線に行って死にたい」
だから、彼は今、最前線に近い別の部隊に入ろうとしている。
アダムは、キエフの北のはずれにあるイルピンという街にできるだけ近づくつもりだと言った。そこは、最近3人のジャーナリストが殺された不安定な戦闘地域である。
「ここまで自力で来たんだ。大丈夫だ」と彼は言った。