>>578
やるべきだよな

マニラ戦とベイビューホテル事件
https://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/6ac97475408a0cd3028dd458af7f84a9

日本軍による占領時期に関して、フィリピンで刊行されている文献、回想録では、必ずと言ってよいほど言及されている。
こうした歴史的事実と、その経験の継承は、フィリピン社会の対日観に、大きな影響を及ぼしている[1]。

一連の日本軍による残虐行為の中で、とりわけ悪名高いものが、本稿で取り上げる、ベイビューホテルの事件である。
この事件は、マニラ戦の最中の、2月9日から12日(一部は13日)にかけて、
日本軍が、マニラの中心にあるエルミタ地区の女性たち数百人を、ベイビューホテルと、その近くのアパートメントに監禁し、
日本兵たちが次々と、強かんを繰り返した事件である。
被害者には、フィリピン女性だけでなく、アメリカ、イギリス、スペイン、ロシア、イタリアなど、欧米諸国の女性たちも含まれている。

日本語の文献では、この事件について、避けて通るものがほとんどである。
他方、英語文献では、日本軍の残忍さを象徴的に示す事件として言及されることが多く、無慈悲な強かんの様子が紹介されているが、
日本軍がなぜ、どのような指揮命令系統に従って、この事件を起したのか、
その周辺地区での、一連の住民虐殺などの残虐行為と、どのように関連しているのか、
などについてのきちんとした分析は、まったくなされていない。

幸い、ベイビューホテルに監禁された女性たちは、殺されることなく釈放されたので、
生存者たちによる証言が、多数残され、惨い実態が明らかにされている。
マニラを、日本軍から解放した米軍は、戦争犯罪捜査にあたって、関連する女性たちに尋問をおこない、詳細な尋問調書を残している。
その一部は、山下奉文陸軍大将の戦犯裁判や、東京裁判にも、証拠書類として提出されており、
また、いくつかの英語文献では、その尋問の一部が引用されている。
しかし、112人にのぼる尋問調書を、総合的に分析した研究はまだない。