ソ連時代って部隊毎の兵士の民族ってどうなっていたのですか?
分隊単位だと同じ民族同士だけど大隊や連隊くらいになると色々な民族がちゃんぽんなのか、
師団や旅団や連隊くらいの大きい集団でもなるべく民族毎にしていたのか、
小隊レベルに至るまでできる限り民族をちゃんぽんにしていたのか。

どうしてもスラブ系、さらにその中で特にロシア系が多いのはわかるのですが、それにしても当時はカザフなどの中央アジアも「同じ連邦」だったわけですし、
ソビエト・ロシア共和国内にもブリヤート人等もいたわけで、どうなっていたのか気になります。