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面妖にも、3万520人しか死んでいないインパール作戦などが「拙戦」「悪戦」の代表格として
取り沙汰されているんです。(ビルマ全体で昭和20年8月までにトータル14万6000人死んでいるが、
牟田口が第15軍司令官だったのは昭和18年3月18日から19年8月29日の間だけ。)
それには特殊な事情があります。勅任官の師団長を3人も馘にした牟田口は、ビルマの仇を東京で、
かつての部下たちにとられ、復讐されてしまったんです。つまり、牟田口に左遷された高級軍人たちは、
ノモンハンの前線部隊長たちとは異なり、決して黙って泣き寝入りはしませんでした。
彼らの恨みのエネルギーは敗戦を挟んで反牟田口の大宣伝となり、おかげでちっぽけなインパール作戦が、
比島作戦全体よりもむしろ悪名が高くなってしまったのです。