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久野村桃代

人物
あだ名は久野村をもじった「無能村」。教育畑が長く、正しくは名が「トウダイ」だが、
それを人々が「モモヨ」と読むほど八方美人で穏和従順な性格だったとされる。

その従順で事勿れ主義な性格がイエスマンを求める牟田口廉也中将に好まれ、
インパール作戦では前任者の小畑信良少将に代わって第15軍参謀長に就任した。

一方で作戦中は前線の苦闘をよそに牟田口中将とともに連日清明荘という料亭通いの毎日を送っており、
酒色三昧の生活だった。高級参謀木下秀明大佐が久野村お気に入りの芸者に手を出したことに激怒、
その場を見つけ外に引っ張り出し兵隊の見ている前で殴りつける乱闘騒ぎを起こしている。

女の奪い合いが原因で現職の将官が大佐を殴ったという事件はたちどころに兵士達の間で噂になったが、
さらにこのような司令部の腐敗ぶりは直ちに英印軍の諜報機関の知るところとなり、
マイクを通じて最前線におけるプロパガンダに遺憾なく活用された。

そのため前線で餓死寸前で苦闘していた第31師団長佐藤幸徳中将は、自らは遊興に耽りながら進撃を強要する15軍司令部に
「久野村参謀長以下幕僚の能力は、正に士官候補生以下なり」と名指しで返電した。