>>490
次のメッセージを大統領にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。
マリウポリ市民の実情に関しては、市長より報告されるべきですが、市にはすでに通信する力はなく、
アゾフ大隊司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、市長に頼まれた訳ではありませんが、
現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。
マリウポリに敵の攻撃が始って以来、陸海軍・国家親衛隊とも防衛のための戦闘に専念し、市民に関しては、
ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、市民は青年も壮年も全部を
防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、
軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。
しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや火炎瓶投擲攻撃への参加を申し出る者さえもいます。
敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。
看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。
このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、包囲された住民地区を指定された時、
輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。
これをまとめると、陸海軍・国家親衛隊がマリウポリにやってきて以来、市民民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、
ウクライナを守るのだという一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。
マリウポリの実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も4月一杯を支えるだけということです。
マリウポリ市民はこのように戦いました。市民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。