実はウクライナ政権は反露強硬のポロシェンコから妥協容認派ゼレンスキーと本来僅かにロシアよりにシフトしていた。
ゼレンスキーの目玉である反汚職政策はうまく行かず対露方針もブレブレで再選は絶望視されていた。だから軍事力を巧みにちらつかせてウクライナ世論を誘導し、あと2年待てばもっとロシア派の大統領を据え付けることも出来た。

そこにウクライナの救世主プーチンが現る。村を焼き子供を処刑し女を犯す大活躍によってウクライナは反露で挙国一致。ゼレンスキーはチンポでピアノを弾く豪胆さでキーウを枕にどんと構えて支持率90%ロシアは近年で最悪の犯罪国家の地位を手に入れたのだった。(終)