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その後旅団砲兵の支援の元に、町の北部にある5階から9階建てのマンション郡に攻撃をかけた。
(図2)https://twitter.com/mdmitri91/status/1519466328876331010/photo/2

ウクライナ軍はその建物の防衛は行わず、元々陣地構築していた住宅エリアに素早く後退した。

3月の終わり、チェチェン人部隊が建物群に住み着き、5階建てマンションの"英雄的な"掃討を演出してビデオ投稿したが、
それは2日前に既に掃討が完了した建物だった。

その後に起きた出来事はまさに滅茶苦茶だった。ウクライナ軍はコンクリート製のガレージを強化地点として使っていた
-図3の右側。赤い円で囲った部分が奴らの守っていた村落地区だ。

(図3)https://twitter.com/mdmitri91/status/1519466328876331010/photo/3

奴らの(*村落の)陣地構築は非常によくできていた。陣地の南側は窪地になっていて砲撃から守られていた。
更に小道の連絡線でつながっており、町を貫いて北に向かう大通りの端にはコンクリート製のトーチカ(*前述のガレージ)が複数あった。
村落地区には"キルゾーン”(fire bags)が予め構築されていた。
これは地下に設置された機関銃点と予め設けられた狙撃位置から十字砲火が通るように作られた場所だった。
さらにそれは、射線の通る壊れた小屋やフェンスを用いて小道の中に入念に隠蔽されていた。

偵察を試みた部隊が射線が通る大通りを避けて、家の庭を力ずくで通り抜けようした。
部隊は誰が小道を作ったのか分からなかった。(おそらくウクライナ軍自身だろう)
そして小道で機関銃と狙撃の十字砲火を浴びた。複数の部隊がどこから撃たれているかも分からずに撃ち倒された。

村落地区での凄まじい混乱がわかるだろうか。すべてがフェンスと家で囲まれ、何も見通せないのだ。
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