再掲

モスクワ時間の昨夜、ドネツク人民共和国の元国防大臣ストレルコフ(イゴール・ガーキン)は、ルガンスクの同志によるルビージュネでの血みどろの戦いの記録を紹介し、それを読むよう勧めた。

3月上旬に旅団が北からルビージュネ地区を攻撃するところから、すべてがお決まりの流れになった。 目撃者の証言によると、町近くの林道で隊列は停止し、偵察隊を前進させたという。 偵察隊は2つの「ウロ」[1]の位置を発見したが、「ウロ」は、しばらくは異変に気がつかなかった。

旅団は次の行動を決定するのに40分かかり、その間に「ウロ」は隊列を発見し、激しい迫撃砲と砲撃を開始した。 この襲撃の結果、我が大隊は戦闘に入る前にすでに半減していた。 他の大隊の行動もよく知らなかったので、自分の大隊の状況だけ書くことにする。

[1] ウロは、もともとディル、アースフェンネルを意味し、2014年以降、過激なウクライナのナショナリスト、そして実際にウ軍の口語的用語に発展しています。

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