>>197
>>同じとき、アメリカ海軍の空母はその飛行甲板から、日本海軍のどの水上偵察機よりも遥かに優れた哨戒&偵察航空機(邪魔なフロートなど付いてない)
>>を多数発進させていたもさよ。

ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%97%E6%98%9F_(%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F)
>二式艦上偵察機
>1941年10月21日、開戦前で真珠湾攻撃の準備中であった第一航空艦隊は、草鹿龍之介参謀長名で航空本部に対し、十三試艦爆の2機に
>零戦用の増槽を付与し偵察機型に改造したものを用意してほしいと要請したが、開戦には間に合わなかった[41]。
>
>既存の九八式陸上偵察機や九七式艦上攻撃機、零式水上偵察機に代わる高速偵察機の必要性を感じていた海軍は、海軍機最高速度と
>大航続力を記録した十三試艦爆に目を付け、開戦直前の1941年(昭和16年)11月に十三試艦爆40機を偵察機として次年度生産分に追加
>発注した。これに先立って試作二、三、四号機を爆弾倉にカメラを搭載した偵察機に改造、1942年(昭和17年)1月に四号機が第三航空隊に
>貸与されたが、不調のため前線に到着するのに半月以上を要した上に実戦投入されずに終わっている(後に再整備の後、第三艦隊の翔鶴に
>配備され、南太平洋海戦で実戦投入されている)。
>
>1942年5月、偵察機に改造された試作二、三号機が要望していた第一航空艦隊第二航空戦隊所属の空母蒼龍に配備された。うち1機は
>ミッドウェー海戦にて米機動艦隊を発見したが、無線機故障のため空母飛龍に帰還してからの報告となり、後に飛龍ごと沈没、残る1機も
>喪われている。戦闘詳報では十三試艦爆の偵察を「敵機動部隊情況不明なりし際、極めて適切に捜索触接に任じ、その後の攻撃(飛龍の反撃)
>を容易にならしめたり。功績抜群なり」と評価している[42]。

試作状態の二式艦偵がミッドウェーに参戦して成果もあげているようなのだ。

>米機動艦隊を発見したが、無線機故障のため空母飛龍に帰還してからの報告となり

ここでそれかよ!って。

戦後の我々軍ヲタが思いつくようなことはおおむね車輪の再発明にすぎず、当時の軍人たちはなんだかんだ言って優秀だったのだ。
いや本当ひどかった例もたくさんあるけどさ。