今度は饅頭でマウント取ろうとして「演義」かよw

所謂「諸葛饅」は南中征伐の帰りにそれまで河に人身御供流していたのを
「そんな人的余裕は無いから、代わりの形代に饅頭を供えよう」と孔明が
言い出した、と言う南中の俗諺を元代の演義が成立した頃に取り込んだ、
あくまで「俗諺」だぞw
(だから陳寿も裴松之も「三国志」本文にも注にも取り入れていない)

裴松之なんか「こんな話ある訳ねーだろ」とか文句付けながらでもそう言う異説そのものは
排除していないのに、それですら取り入れていないw

この俗諺が演義成立時に入った経緯は面白いが、これを「史実(キリッ」とか、
笑死にしそうだw